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ことわざ 慣用句 四字熟語 を わかりやすく 紹介!! 2012年08月

ことわざ 慣用句 四字熟語 を わかりやすく 紹介!!

”日々の気になることわざ 慣用句を日記を通して紹介 ” 気ままな暮らしぶりも併せて載せています。

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彼は初めて音楽祭で、演歌を歌った破天荒な奴だ!!


実際、こんなことあったら楽しいでしょうね!!


この破天荒という言葉は、いったいどういう意味なのでしょうか??




実は、中国と関わりがあります。



昔、唐(中国)には、科挙と呼ばれる官吏登用試験というものがありました。

日本で言うと国家資格試験のようなものです。

荊州(けいしゅう)と呼ばれる地域では、この試験に合格する人がずっと出ていませんでした。

そのため、この地域では、天荒(未開の場所)と呼ばれていました。


そんな中、一人の人物(りゅうせいと呼ばれる人)が、とうとうこの試験に合格したのです。


そうです。 天荒を破ったのです!!


このことから、


破天荒 ⇒ 未開の地を切り開く ⇒ 今まで誰も成せなかったことを成すこと


といった意味になりました。





小話を一つ



私の名前は、ベア ○○ルス


こんなところで、いいものを見つけました。


蜂の巣ですよ。


今から、生のはちみつを頂きましょう!!(手でハチの巣に突っ込む)


「よし!。」

「う。!」

「・・・・」

「さされました!。」

「痛いけどうまい!!。」


はちみつはおいしかったそうですが、代償は大きかったようです。


その後、ベアさんは、鼻を刺されてすごい腫れていました。


この人こそ破天荒という言葉が最もあてはまるかも!!















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「お前ともあろうものが、ナンバープレートを見過ごすなんて、焼きがまわってきたな!!」


警官がしゃべっているようである。


この焼きがまわるという言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか??



実際に経験したらわかる?

もし、実際にしたら、黒焦げになって成仏してしまいますから、くれぐれもしないでください。



実は、と関係があるんです。



鍛冶屋は、を作る際、高温の火で刃を焼いて、切れ味を高めようとします。


しかし、高温のまま、火(焼き)がまわりすぎると、刃が融けてもろくなったり、切れ味が悪くなったりするのです。



このことから、刃を人間に例えて、

焼きがまわる ⇒ 刃の切れ味が悪くなる ⇒ 腕前や能力が衰え役に立たなくなること

といった意味を表すようになりました。





小話を一つ


夫と妻は、クイズ番組を観ていた。


「俺も焼きがまわったな!!全然、世界史のこと覚えてないわ!!」


妻も同じく、

「私も覚えていないわ。」

と答えた。


でも、夫は、妻が焼きがまわっているとは決して思わないようだ。



1年前にバックを買うと約束したことをいまだに覚えているからだ・・・。


この記憶には焼きがまわらないのだろうか?


















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あの二人の大工は、阿吽(あうん)の呼吸で仕事をしている。


阿吽(あうん)の呼吸という言葉、普段は使わないものかもしれません。


この言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか??



阿吽という言葉の意味がわかれば、何となく想像できます。


阿吽とは、「阿」と「吽」が合わさったものです。


「阿」: 口を開いた時に出る声 ⇒ 吐く息のこと

「吽」: 口を閉じた時に出る声 ⇒ 吸う息のこと

です。


つまり、阿吽の呼吸とは、吐いて吸って呼吸するということです。


これでは、意味がわかりませんよね??

実は、阿吽という言葉には、他にも意味があるのです。


この字は、梵字(インドから伝わった言葉)のもののうち、「阿」は始まりの言葉で、「吽」は終わりの言葉を表します。

これが、転じて

 阿吽 = 初めから最後までのすべて 

といった意味になりました。



つまり、最初から最後まですべてにおいて、呼吸が整っているということから、

お互いの息が最後までぴったり合っている

といった意味になりました。



小話を一つ



「あれ、この前のお菓子どこにおいたっけなあ?」

上司が、自分のお菓子を探している。


でも、上司は決してお菓子を見つけることはできない。

私と部下で、ちょっと前に、いたずらで食べたからだ。

私は部下に小声で言った。

「お菓子のゴミを隠して捨てておけよ!」

「はい。」


私たちは、阿吽の呼吸で見事、隠し通せたかのように思えた。


しかし、現実はそう甘いものではなかった・・・。


「お前たち、私のお菓子を食べたろ!今夜は残業だ!」


なんと、上司にばれていたのだ。

「どうして、わかったんですか?」と聞くと、

「お前の顔に書いてあるわい!顔を鏡で確認してこい!!」

そんなわけがないと思いながら、言われたとおりに、鏡を見るとはっきりと理由がわかりました。



口の周りに普段ついていないものが残っていました。











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「振り込め詐欺に騙された友達がいた。」

「私も、前者の轍を踏むことのないようにしないと!」



言ってることは、しっかりしている。


もちろん、口でしゃべっていれば、何の問題もない。


しかし、文章で書くと、これは誤りである。


どこが、間違っているのだろうか??




実は、前者の轍を踏むではなく、前車の轍を踏むが正しい。


どうして、そうなるのだろうか?


これは、が何を表しいるかがわかれば、すぐに理由がわかります。



というのは、わだちのことで、車が通った後にできる車輪の跡のことを言います。


ここで、よく考えてください。


前者という人が通っても、なんてできませんよね。


したがって、前車という言葉が前につくのです。



では、この前車の轍を踏むという言葉は、どういう意味でしょうか?



これも、文字通りです。



前車の轍を踏む ⇒ 前の車の通った後を踏む


つぎに、場面を想像してみてください。


もし、前の車が崖に落ちた場合、次の車が前の車のわだちを通ったら、同じように崖に落ちてしまいます。

このことから、

前車の轍を踏む ⇒ 前の人と同じ過ちを繰り返す

といった意味になりました。


同じ過ちを繰り返すということですから、いい意味(+のこと)では使えません。


例 前の人が当選した。次の私もなんと当選。 前車の轍を踏むものだ。

といったものは、間違いですので、気を付けてください。




小話を一つ




私は、初めて通る道を車でのんびり運転していたとき、ふと、ガソリンメーターに目が留まった。

「やばい、ガソリンがない。」

そう思って、ガソリンスタンドを見まわしたが、どこにもない。

あるのは、車を補給するものはなく、人のエネルギーを補給する田んぼだけだ。



そこへ、一台の車に追いついた。


私は、その車の跡をきっちり追いかけた。


2手の道で分かれたが、その車についていくことにした。


そして、やっとのことで、ガソリンスタンドを発見したのだ。



前車の轍を踏んでいってもいい場合があるのだな!!(笑)
 


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社員と上司が会話をしている。


「すみません、電車がおくれて、走ってきたのですが、それでも、信号にひっかかって・・・」


「いつまで、ごたくをならべているんだ!! こういう時は誤るだけでいいんだ!」


確かに、くどくど理由を述べるより、素直に、「遅れて申し訳ございません」と一言いうのが、社会ではベストです。

理由は、聞かれてから答えればいいのですから・・・。



と、話がそれそうなので、本題に戻ります。




このごたくをならべるという言葉は、どういう意味なのでしょうか?


これも、漢字に直してみると、自然と意味がみえてきます。




ごたくをならべる」は、漢字では、「御託を並べる」と書きます。






御託とは、ご託宣(神様からのお告げのこと)という言葉が省略されたものです。



つまり、

御託を並べる ⇒ (一般人が)、神様からのお告げを列挙(一つずつ数えあげること)する
ということになります。


神様からのお告げを次々数え上げたら、もはや、「お前は神か」と思わせんばかりで、傲慢に思えますよね!!


このことから、

御託を並べる ⇒ 偉そうに、自分勝手なことをくどくど述べる

といった意味になりました。






架空の小話を一つ




弟(中学生2年生)が、兄(高校2年生)の日記を偶然見た。


(日記より)


今日は、先生に怒られた。練習試合に遅刻したからだ。

理由を説明したら、先生は、

御託をならべる前に、さっさと練習しろ!」

と言った。 

確かに、練習あるのみだ!!!





弟はこの日記をみて、兄に言った。

「兄ちゃん、どうして、オタクを並べたの? ゲームに詳しい人がいるの? オタクなら僕を呼べばいいのに・・・」


オタクではないゴタクだ、弟よ・・・・








































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「こら、また同じミスをしやがって!」

とんちんかんな奴だ!」




この言葉、意味はみなさんもご存じだと思います。


しかし、この語源を知っていると、さらに納得いくと思います。


このとんちんかんはどういう由来から意味がきているのでしょうか?





実は、鍛冶屋(刃物・金槌・鍬などを製造修理する職人)が関係あります。



鍛冶屋では、交互にかなづちを打って仕事をしていた。

その際、いい3人コンビならば、トン、トン、トン と上手に金づちを打つ音が聞こえる。


しかし、これが3人の足並みがそろわないと、トン、チン、カン といったようにばらばらの音が聞こえる。


このことから、とんちんかんとは、


   足並みがそろわない ⇒ 周りとしていることがずれている人がいる 


                          ↓

  
         辻褄(つじつま)の合わない間抜けなことを言ったりしたりする人 


といった意味を表すようになった。



(架空話を一つ)


私は、とんちんかんといつも仕事場で言われている。

確かに、上司の言うとおり行動は遅いし、のんびり屋だからである。


大雨で壊れた屋根を修理するために、上司と部下と私の3人は板をうちつけることにした。

「とんとんイデー」、「とんとんウガッ」、「とんとん・・・」「とんとんゲホッ」

一人金づちを打つ作業が下手な人がいる。


「なかなかすすまないな!」

と上司が一言!


あなたが、原因ですよ・・・











 
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「近道は、みんな通るから渋滞するかもしれないぞ!」

「確かに・・・、 急がば回れで、結局、遠回りした方が早くつくかもしれないな!」


何やら車の中での出来事のようです。



この急がば回れという言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか?



これも語源から考えていくと面白いものです。




江戸時代、琵琶湖を越える際、船で直接横切っていく方法と、徒歩で琵琶湖の周りを行く方法と2種類ありました。


もちろん、船に乗ったほうが、歩くスピードより速いうえに、直接横切ることができるので早いに決まっている。


しかし、自然というものを考えていない・・・。


実は、この琵琶湖周辺には、比延おろし(比叡山から吹き降ろす強い風)が吹き、船が止まったり、遭難したりすることもあり、結果、目的地に着けないこともあるのだ。


しかし、徒歩ならばこのような心配はない。



つまり、船で行くより徒歩でいった方が、確実に、安全に、琵琶湖を超えることができるのだ。



このことから、急がば回れとは、


① もし急ぎたいのならば、危険な近道を選ぶより、遠回りをして安全に進んだ方が良い  
    
② 安全で確実な方法を選べ!(戒めとしての言葉)



といった2つの意味を表すようになりました。





ここで小話を一つ





私も車で近くのデパートへ行く時、遠回りだが安全な道を選んでいる。

まさに、急がば回れだ!!

「えっへん!」(何を言ってんだか・・・)



実は、遠回りの道しか知らないことは秘密にしておいて・・・ 
 









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「友人が交通事故で亡くなった。断腸の思いでいっぱいです。」


このようなことを耳に入れると、つらいものですね。


この言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか?


実際に断腸の思いを経験してみればわかる?

いえいえ、本当に腸を断ったら死んでしまいます。

決してそのようなことはしないでください。


実は、この言葉は、中国古来の故事からできた言葉なのです。



昔、中国の桓温という武将の家来が、子ザルを捕らえて舟に乗り込みました。

それを見た母ザルは、後をおって追いかけました。

100里という長い距離でも、母ザルは必死に追いかけました。

そして、舟がついたとたん、母ザルは舟に飛び込んで、わが子を取り戻そうとしました。



しかし、その瞬間、母ザルは息絶えてしまいました。



母親のお腹を破ってみると、腸が引き裂かれた状態で絶命していたのです。


このことから、


断腸の思い ⇒ (腸が引きちぎれるほど)つらく悲しい思い


といった意味を表すようになりました。


つらいエピソードですね。


ちなみに、この子ザルを捕まえた人は、桓温の配下から追放されました。


(話を一つ)



依然、講師の職が、6か月の任期で切れたことがあった。

正直、1年間成長を見たかった。

卒業式も出席したかった。

やめるときは、断腸の思いでいっぱいだった。


でも、街中で楽しそうに買い物をしているのを見ると、ホッとする。


ウインナーをもって考えてみた。

豚も断腸の思いなのだろうか??





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ちょっと、絵をかじった程度で、大作に挑んでも失敗するぞ!

生兵法は大怪我のもとというから、ちょっとずつ覚えてから大作に臨みなさい!


これは、戒めの際に使われる言葉である。


いったいどういう意味なのだろうか?


これも言葉が表している意味がわかれば、自然と納得いくものです。



生兵法というのは、中途半端な兵法とか、十分身についていない知識や技術といった意味を表します。

要するに、中途半端な能力ということです。


これがわかれば十分です。


つまり、生兵法は大怪我のもととは、 

 中途半端な能力は大怪我をするもとである ⇒ 生半可な知識でことを行うと大きな失敗をする

という意味になります。


言葉って面白いですね!!



ここで話を一つ



私は ベア・〇〇ルス(ディスカバリーをご覧の方は、多分ご存じ)

ここらへんは、食用の動物がいない。

でも、あきらめないでください。

この木の中にいる虫は食べれるんです!!

「パク、ガリ、グチャ。」

「なにか、ゴムを食べている感じがします!」



この番組は、窮地に陥った時にどうすればいいかというものを教えてくれるいい番組である。


この人は、生兵法は大怪我のもとという注意は必要ない。

しっかり、サバイバルでの軍事経験を積んでいるから、こんなことができるのだ。


みなさんも安易に木に入っている虫を食べようとしたらいけませんよ!!



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彼は、小さいころからスポーツ万能で、他の人より秀でていた。

そのため、「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し」と称されていた。


この栴檀は双葉より芳しという言葉、いったい、どういう意味なのでしょうか?



これも、言葉が表している意味がわかれば、自然と意味がわかってきます。


まず、普段聞き慣れない「栴檀」という言葉の意味を紹介します。


「栴檀」とは、センダンと呼ばれる植物があるのだが、これを表しているのではない!


実は、ビャクダンと呼ばれる植物の中国名をセンダンといい、このことを表しているのである。



普通の植物は、ある程度成長してから独特の香りを放つのだが、このビャクダンは、双葉のころから爽やかな甘い芳香がするのが特徴なのである。



つまり、栴檀は双葉より芳しというのは、

ビャクダンは双葉になって、もういい香りがする ⇒ 大成する人は、小さいころからその兆しがあるといった意味になりました。



架空の話



父と子供がキャッチボールをしていた。

「ズドン!」

キャッチャーミットに勢いよくボールが吸いこまれた。

「この子は、将来エースになるかもしれない! まさに、栴檀は双葉より芳しとは、うちの子のことだ!」

そう思って、野球の練習を一生懸命続けた。



月日は過ぎていった。



その子はどうなっているかというと、立派なエースになっていた。


それは、お笑いという名のエースだったが・・・。




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「お前たち、班行動なんだから、班長に従わないといけないじゃないか!

みんながばらばらに、指揮していたら「船頭多くして船山に上る」と言ったように、行きたいところへ行けなくなってしまうぞ!」


何やら注意しているようである。


この言葉は、いったい、どういう意味なのでしょうか?


これも情景を思い浮かべれば自然と意味がわかります。




船頭とは、船を取り仕切っている頭のことで、船長のことである。


これだけわかれば、意味は想像できるのである。


そして、船頭多くして船、山に登ると分けて考えればもう、答えは近い!


つまり、船頭多くして船山に登るとは、

船長が多すぎると、(規制が取れず)船は座礁してしまうということになります。

このことから、

指図するものが多すぎると、一つに統一できず、とんでもない方向へ進んでしまうこと
という意味を表すようになりました。


もちろん、船、山に登るのだから、このとんでもない方向というのは、「進展しなかったり、悪い方向」という意味合いで使われている。



現実の話を一つ




家族とドライブに行くと、頻繁に昼食合戦が起こる。

というのも、みんな食べたいものがいつも違うのだ。


「私はかつ丼」、「私は寿司」、「私は中華」


どこに、これらの3つの食べ物を提供する場所があるのだろうか・・・



そして、結局1人の希望通りの店にいくことになるのだが、それが決まるまで結構、格闘するのだ。




食べるものが決まって、いざ、店屋へ行こうとすると、たいていランチ終了の看板が立っている。


結局、惣菜で済ませることが多い今日この頃・・・



船頭多くして、船山に登るといったようなものだ。


でも、うちには、船頭と呼ばれる人はいないんですがね・・・。










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困っている人を会社へ雇ってあげたのだが、いつの間にか会社を乗っ取られた。

庇を貸して母屋を取られるとはこのことだ。

がっかり・・・。


何やらかわいそうな雰囲気が漂っています。

この意味は、いったい、どういう意味なのでしょうか?



実は、これは情景を考えればすぐに意味が想像できます。


庇(ひさし)とは、家屋の開口部(窓、出入り口)の上に取り付けられる日よけや雨よけ用の小型の屋根を表しているもの(軒先のこと)、または、寝殿造りで母屋の付け足し部分のものを表している。

母屋とは、家屋の中心部のこと、または、寝殿造りの家屋の主体部分のものを表している。


いずれの意味をとっても、庇はごく小さい空間、対して、母屋は広い空間ととらえることができます。

つまり、

庇を貸して母屋を取られる ⇒ 小さい空間を貸して、大きな空間をとられる 
    
            ↓

1.一部を貸したために、全部をとられる

2.(貸した)という恩恵を、あだで返される

                            

といった2つの意味を表すようになりました。



架空の話を一つ



妻と夫の二人は田舎道を歩いているとき、急にどしゃぶりの雨が降ってきました。



「あなた、あそこで雨宿りしましょう。」

「そうだな。」

「でも、今日は雨がよく降るなあ。」


この近くには、ここの他に雨宿りする場所はありません。

しかたなく、ここで雨がやむのを待っていました。



すると、遠くのほうでバスが通りかかったのが見えたので、急いでバスのほうへ走っていきました。

「おーい。」

しかし、声は届かず、バスは通り過ぎてしまいました。



しかたなく、雨宿りの場所へ戻ったところ、子供が2人走ってきました。


「ここへ入りなさい。私たちはいいから。」


そういって、私たちは、また、ほかの雨宿りをする場所を探しに行きました。

でも、見つかりません。


仕方なく子供たちのいた場所のほうへもどっていくと、「おーい!」と声がしました。

車で親が迎えに来てくれていたのです。


なんと、私たちもバスが来るまで、車で(笑)待たせてもらったのです。

「やっぱり、人と人とのつながりはよいものだな。」


雨宿りという庇を貸して、車の中という母屋をえ多様な気分で、ホッとしました・・・。








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本日8月18日の朝にアップした、「六日の菖蒲、十日の」菊の内容が、「菖蒲を飾る風習がある」「菊を飾るという風習がある」と間違ったことをのせていて申し訳ございません。

正しくは、「菖蒲を飾ったり、菖蒲湯を飲んだりする風習がある。」「菊を干渉したりする風習がある。」です。

先ほど、訂正いたしましたので、もう一度ご確認ください。

ブログをご覧の皆様、本当に申し訳ございませんでした。

今後はこのようなことがないように気をつけて出稿します。

今後もよろしくお願いいたします!

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「今から準備するとは何事か!もう、プレゼンが始まるというのに!!。」

このことを、六日の菖蒲(アヤメ)、十日の菊(キク)と言うんだ!

今度からは、早めに準備しろ!



何やら怒っているようです。



この六日の菖蒲、十日の菊ということわざは、どういう意味でしょうか?


これは、実はカレンダーが関係しているのです。


まず、六日の菖蒲から考えていきましょう。



この六日というのは、実は、五月六日の五月が省略されたものなのです。


何で五月かというと、五月五日に関係しています。


この日は、こどもの日でお馴染みの端午の節句の日です。

実は、この日は、菖蒲を飾ったり、菖蒲湯を飲むことが昔からの風習としてあります。

しかし、五日に飾れず、六日に飾ったらどうでしょう?

六日に飾っても、時期外れで意味がないですよね。

このことから、

六日の菖蒲時期が遅れていてもう役に立たない

と言った意味になりました。



こう考えると、実は十日の菊も同じように考えることができます。



この十日というのは、九月十日の十日が省略されたものなのです。


九月九日は、重陽の節句と言って、菊を見て長寿を願うことが昔からの風習としてあります。


しかし、九日に菊を見れず、十日に見たらどうでしょう?


十日に菊を見ても意味がないですよね。

このことから、

十日の菊時期が遅れていてもう役に立たない

と言った意味になりました。


つまり、この2つは同じ由来と意味をもっているので、六日の菖蒲十日の菊と個別に表現することもあれば、

六日の菖蒲、十日の菊と続けて表現することもあります。


日本語って面白いですね!!





<架空の話>


六日の菖蒲、十日の菊というように、もう冬が来るのに、今からアサガオの種をまいたって発芽しないよ。」

「やってみないとわからないよ!」

父と子供の会話である。

何事もやってみることが肝心であると思い、父はそのまま成り行きを見届けた。

だが、案の定、発芽しなかった。

というのも、六日に種をまいて、十日に発芽しないからといってあきらめていたからだ。

どうもあきっぽいようである。



今度は今が旬の菊を植えていた。

アヤメと違って菊なら、六日の菖蒲、十日の菊とはならないだろう・・・。












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「買い物っていてたけど、帰りが遅かったね。どこで油をうってたの?」



この油をうるという言葉は、いったいどういう意味なのでしょうか?


実は、これも情景を考えれば自然と意味がわかります。


昔、電気などがない時代、庶民は行灯などで火をともしていました。

この行灯には油が必要なため、庶民は油が切れると行商人(油売り)から買っていました。

行商人は油をひしゃくですくい、升と呼ばれる器に移して売っていました。


当時の油は今のものと違って、非常に粘性があり、移し替えるのに時間がかかっていました。


いっぱい油をひしゃくですくって移してもいいのですが、移し替えるときに漏れたり入れすぎたりして利益が取れなくなる恐れがあります。

そこで、行商人は、油をひしゃくですくって移し替えている間、客と世間話をして油の量を節約しようと考え実行したのです。


この情景を他の人が見たとき、油売りは、世間話をして仕事をさぼっている様子に見えたのです。


このことから

油をうる油を(世間話をしながら)売る無駄話をしてさぼっている余計なことをして時間を費やしている

といった意味になったという説が知られている。


<架空の想像話を一つ>




「あなた、仕事おそかったわね。どこで油を売ってきたの?」

「ちょっと、偶然、街中で友達に会ったから一緒に飲んできたんだ。」

「そう。じゃあお風呂へ入って!」



 安心して上着をおろして、風呂場へ向かった。

 実は、昔の彼女に会って、遊園地へ行っていたというのを知れたらひとたまりもない。

「腹へったなあ」と言いながら風呂場をあとにした。

 

風呂場へ出ると、妻が机の前に座っていた。


「あなた飲み会ってどこへ行ってたの?」

「駅のすぐそばの・・・」

「何を食べたの?」

「ラーメンを・・・」

「何でお腹がすくの?飲み会へいったんでしょ!」

「え、それは・・・」

「正直に言わないと、ご飯はあげません!」


妻には手が上がらない夫でした。













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昨日道端で100円拾った。ラッキー。

そう思って100円を拾った拍子に、ポケットから500円落として工事現場の地下へ転がっていった。

まさに、禍福(かふく)は糾(あざな)える縄のごとしといった経験だった。



こんなことわざを使えたら、鼻が高いですね。

実際、このことわざはどういう意味なのでしょう?



これも、それぞれの言葉が表していることがわかれば自然と意味がわかってきます。



禍福(かふく)の意味を考えていきましょう。


は、訓読みで「わざわい」と読み、思わぬ不幸という意味です。

福は、文字通り幸福という意味です。

つまり、禍福とは、不幸と幸福という意味になります。

次に糾(あざな)えるという言葉です。

これは普段使わないので、意味を知っているかたはすごい・・・。

私は最初さっぱりわかりませんでした。


糾(あざな)えるとは、よりあわせる(交互にからませる)という意味です。

つまり、糾える縄で、より合わせた縄(交互にからませた縄)という意味になります。


全体の意味を考えましょう。


禍福は糾える縄のごとしは、幸福と不幸がよりあわさった縄のようだといったことになります。

このことから、

幸福と不幸が交互にからまりあった縄のようだ幸福と不幸は交互に起こるものである

といった意味を表すようになりました。



架空の話を一つ


やったー、とうとう給料を引き落とせる。

15日に振り込まれた給料を引き落としに、翌日ATMへ朝一番で駆け込んだ。

そして、一番乗りで通帳記入をした。


通帳記入というのは、ガチャガチャ音がしていたら記入されていることがわかるのですが、ガチャガチャする音が長い。

おかしいな?

そう思って出てきた通帳を見ると、引き落としの項目があって、残高はわずかだった。


なんで引き落としをされているの?通帳はもっているのに?


こう思った瞬間、財布のカードを確かめた。


ないではないか!


家へ帰って、このことを聞くと、一人怪しい人がいた。


おじいさんである。

おじいさんに聞くと、

「すまんのお、昨日ちょっと入り用があって、朝言えなかった。次の30日には返すからのお。」

といった。

「原因がわかればいいよ。」

禍福は糾える縄のごとしとはこのことだと思った。


でも、これだけは確かです。


互いにからまった縄には2つの側面があるけど、おじいさんは裏表はない人ですよ!!














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ねんどでお城を作ることができた。

完成したお城の屋根が気になったので、直していたら城が壊れてしまった。

まさに、角を矯めて牛を殺すようなものだった。


この言葉は、どういう意味なのでしょうか?


これも言葉が表している意味がわかれば、自然と納得がいきます。



とは、動物についている(つの)です。

矯めるとは、正しく直すといった意味です。

つまり、角を矯めるとは、角を正しく直すということです。


これで、全体の意味を考えてみましょう。


角を矯めて牛を殺す牛の角を正しく直していたら、牛を殺してしまった。ちょっとしたことを直していたら、全体をダメにしてしまった。

という意味になります。



<架空の話>

うーん、ここの文がおかしいな。

ブログは完成したものの、文量が欠けると思い、文面を推敲していた。

疲れていたので、ブログ画面をそのままにして、軽食をとった。



その後、パソコン部屋へ戻ってみると、なぜか画面が閉じられていた。

「え、どうして?」

そう思いながら、パソコンの近くに来た瞬間、理由がわかった。

「ちゃんちゃかちゃららら、ちゃんちゃん。」

おじいさんが大好きな笑点の動画を見ていたのだ。


文量を気にせず、すぐに保存していたらこんなことは起こらなかった。

また、1からブログのやり直しだ。

角を矯めて牛を殺すとは、このことだと実感した。


パソコンに角なんて生えていないのに・・・

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こんな人気のないゲームに走るとは・・・。蓼食う虫も好き好きとはこのことだ。

この蓼食う虫も好き好きという言葉、いったいどういう意味なのでしょうか?


これも言葉が表していることがわかれば、自然と納得いくものです。



蓼(たで)とは、植物の一種で、さしみのつま、つけだれなどに用いられ、香辛料として使われている。

植物の中でも非常に辛いもので、普通は好き好んで食べるものはいない。

そんな蓼を食う虫も、好き好き(好き好んでいるのも中には)いるのである。

このことから、

辛い蓼を好き好んで食う虫も中にはいる⇒普通とは違うものを好む人が中にはいる人の好みはさまざまである

という意味になりました。



(架空の話を一つ)



「あそこで食べましょう。」(妻)

「おう、そうだな。」(夫)


ドライブで疲れて休憩場所を探していた私たちにとっては、まるで、オアシスに思えた。

店の中へ入ってみると、店主が、

「ここらはアユの塩焼きがおいしいですよ!」と一言、

進められるがまま、私たちは、アユの塩焼きを頼んだ。

「どうぞ、タデ酢をつけてお食べください!」

言われるがまま、タデ酢につけて食べた。


正直、このタデ酢は辛くて仕方がなかった。

でも、妻は、

「このタレおいしいね!」

と言った。



蓼食う妻も好き好きだね。」と軽く冗談交じりに言った。

珍しく怒らなかった。


そして、昼食を済ませた私たちは、家に帰った。


しかし、事件は次の朝すぐに起こった。


アユの塩焼き蓼ソースがテーブルに置かれていたのだ。












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いくら、犯人を包囲網で囲ったとしても安心するな!

窮鼠猫を噛むということもあるから、突入の前に落ち着いて作戦を練ろう!!




この言葉は、いったいどういう意味なのでしょうか?



これも情景を思い浮かべれば自然と意味がわかります。




窮(きゅう)とは、窮地などという言葉で使われる意味と一緒です。

つまり、追い詰められているという意味なのです。

よって、窮鼠は、追い詰められたネズミということになります。



つまり、窮鼠猫を噛むとは、追い詰められたネズミは猫を噛むということになります。

天敵の猫に追いかけまわされたネズミも、窮地に落ちいった場合、必死に猫に噛みつくということです。

このことから、弱いものでも追い詰められれば、必死に反撃するといった意味になります。



架空の話をここで一つ!


妻が大きい声で叫んでいます。

「あなた、どうして、ゴルフバックを買ったの?こんなのいらないでしょ。!!」

夫も、負けずに反撃

「おまえだって、財布いくつ買ってんだ。」

「財布は、コレクションになるからいいの!!ゴルフバックは、何の役にも立たないでしょ!!」

「だって、クラブを入れるのに・・・。」

「そんなの車に積んで持っていけばいいでしょ!!」


現実社会では、窮鼠(夫)はやはり猫(妻)に噛まれるみたいですね・・・(笑)













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「よし、あいつがいない。今日からおれが大将だ。」

これを見て、ある人は言った。

まるで、鳥なき里の蝙蝠(こうもり)だね。



さて、鳥なき里の蝙蝠(こうもり)とは、どういう意味なのでしょうか?

これも情景を思い浮かべれば、自然と意味がわかります。




つばめやハトは大空を自由に飛び回って、自分が鳥だとアピールしているみたいに自由に飛んでいます。

かたや、蝙蝠(こうもり)と言えば、洞窟やうすぐらいところで飛び回っています。


もし、ツバメやハトなどの鳥なき里に蝙蝠がいたらどうでしょう?


蝙蝠(こうもり)も外へ出てきて、自由に空を飛びまわって、自分こそが鳥の代表だということになりませんか?


このことが転じて、

鳥なき里の蝙蝠(こうもり)⇒ 代表の鳥がいないため、目立たない蝙蝠が威張ること⇒ 優れたものがいないため、つまらないものが威張ること

という意味を表すようになった。





社長が課長に文句を言っている。

「おまえの部署は、いつも発注ミスをするな!いつになったら、ちゃんとした仕事ができるんだ。」

上司のきつい言葉に、ストレスは溜まる。

しかし、課長は、決して部下に対しては、きついことは言わず、明るく接していた。

でも、内心うっぷんがたまっていた。

「おれも社長になって、威張り散らしたい。」

そんな思いが彼の心にわいてきた。

そして、それが実現する時が来た。

社長が出張で会社を出ることになったのだ。

課長は、社長のイスのに座り、

「今日から俺が社長だ。さっさと働け!」

と冗談交じりに罵声で言った。まさに、鳥なき里の蝙蝠である。

しかし、その態度が露見した結果、課長から離れていく人が多くなってしまった。

それからというもの、鳥のように明るかった課長は、蝙蝠のようにひっそりと仕事をするようになってしまった・・・。






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私とあなたの子供を手塩にかけて育てます。


感動的な言葉である。


この手塩にかけるは、意味は想像できると思います。

そうです。大切に育てるという意味です。

どうして、このような意味になったか知るともっと面白いですので、考えてみましょう。



これも情景を想像してみてください。



手に塩をかけるんでしょ!

手に塩をかけたら、しみていたいいたい!!

違います。


実は、昔の料理に関わることなのです。



昔、客のもてなしの際、膳に乗って食事を運ばれることが多かった。

その際、不浄なものを取り払うため、塩をもって膳を出していた。

この塩のことを手塩というのである。


このことから、

来客を快くもてなすために、手塩をかける相手の世話をして大切にする。


といった意味をもつようになりました。




次の場面を想像してみてください。




俺の娘は、手塩にかけて育てた娘だ。きさまなんぞに、簡単に渡せるか!!

お父さんは、娘の婚約に猛反対。

彼は、何度も何度も頼んだが、ダメでしぶしぶ帰って行った。



それから、彼は家に来ることはなかった。

彼との関係は終わったと思った父は、安心していた。


それからというもの、娘は学校の部活で忙しく、帰るのが日に日に遅くなっていた。


部活で精を出すとはすばらしい!!


しかし、真実は違っていた。


娘が、いまだに彼氏と駆け落ちをしていたのだ・・・


そんなことを知る由もない父であった。










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ヒーローと悪党が戦っています。

ヒーローが、
「この技でけりをつける。」

と言った。

はたして、この言葉はどういう意味なのでしょうか?



このけりをつけるという言葉は、何となく意味がわかると思います。

この言葉は、物事を締めくくる、決着をつけるという意味です。


語源をしっておくと、この意味になる理由が、さらに納得いきます。


この言葉の語源を考えてみましょう。

ポイントは、言葉を分けることです。




けりをつける」を「けり」を「つける」と分けて考えてみてください。

古文を学習した人ならピーンとくるはず!!


そう、古文で使う助動詞の「けり」なのです。

「昔男ありけり」⇒「昔、おとこがいた。」

などというように、古文では、「けり」を付けて、文を締めくくる場合がほとんどである。

このことから、けりをつける(文を)締めくくる締めくくる、決着をつける。

というようになりました。





ここまでは、お前と互角か!

最後の古文のテストで、けりをつけようじゃないか!!

(テスト結果がわかって)

う、お前に2点差で負けてしまった。くそー!!


負けた人は、非常に悔しがっていた。

皮肉にも、「けり」を過去の助動詞でなく、詠嘆の助動詞と書いていれば、同点だったのだ・・・。


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彼は、ほしいものがあったら、何でも買う。(金に)糸目をつけない人のようだ。


この(金に)糸目をつけないとは、どういう意味なのでしょうか?


これも、言葉が表している情景をつかむとわかります。



実は、この言葉の意味は、たこに関係します。

たこといっても、足が8本のやつ?

いえいえ、お正月などであげるたこが関係しているのです。




糸目とは、たこにつけるあげ糸のことを言います。

この糸目をつけて、たこの上げ下げを調整しているのです。

もし、この糸目をつけなかったら、たこはどうなるでしょう?

うまく調整できなくなって、どこまでも飛んでいってしまいます。

このことから、


(金に)糸目をつけない⇒(金を)うまく調整できない⇒(金が)限りなく飛んでいく⇒(金)を惜しげもなく使う

という意味になりました。




ここで、夫婦の会話を聞いてみてください。(架空)


あなたは、お金を大事に使うので、「金に糸目をつけない」ということはない人であることは知っている。

でも、あなた自身に、糸目をつけないといけないみたいね。

昨日の夜は、どうして遅かったの?


この後の展開は想像にお任せします・・・。





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こんにちは、今日も暑いですね。


日頃の会話の一部である。


この言葉、会話で用いることが多いため、手紙など書いて伝えるときは、誤った字を用いている人も少なからずいると思われる。

現に私もそうだった・・・。


では、「こんにちは」と「こんにちわ」正しくはどちらなのだろう?



これも、語源をとらえれば納得いくものである。



昔の人はあいさつとして、

今日(こんにち)は、ご機嫌いかかですか?」

などというあいさつをしていた。

これが、だんだんと省略される形になって、

こんにちは」というようになったというものである。



これと同じ理由で考えれば、「こんばんは」と「こんばんわ」どちらが正しいかわかると思います。



こんにちは」と明るいあいさつをして、スポーツ、勉強をそつなくこなしている。

もちろん、道であった時も「こんばんは」と明るく声をかけてくれる。

友達は、この子はできると日に日に思い、必死について行こうとした。

そんな中、その子から一通のメールが来た。

こんばんわ。微積の問題、今、終わったところだよ。」

友達は、これを見て思った。



誰にでも間違いはあるもんね。


この「わ」を「は」に変換し忘れただけなんだ。きっと・・・



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お前と俺とでは、身長の差では五十歩百歩だ。

この意味は、次のうちどちらの意味でしょう?

(二人は身長は)かけ離れている。」、それとも、「(二人の身長は)それほど差がない。



答えは、後者の「(二人の身長は)それほど差がない。」です。


これも情景を考えれば意味がわかります。


情景って言ったって、五十歩と百歩を歩いてみると、全然違うじゃないか?

確かにそうです。



実は、この情景を表しているのではないのです。

違う情景を表しているのです。




昔、戦をしていたのだが、負けが濃厚でどうしても引き上げざるを得なくなっている二人の人がいた。

そのうち、一人は、50歩戦場から逃げ出し、もう一人は、100歩戦場から逃げ出していた。

50歩逃げ出した人が、100歩逃げた人に対して、

「どこまで逃げる気だ。臆病者が・・・。」とのことを言い、大笑いしました。



孟子はこのことから次のようなことを言った。

50歩逃げたものが100歩逃げたものを笑うとはおかしい。所詮、お互い逃げたことに違いはないではないか。

このことが転じて、お互い逃げたことに違いない大差がないという意味を表すようになりました。



ちなみに、十という読み方は、十(じっ)であって、十(じゅっ)という読み方はありません。

したがって、五十歩(ごじっぽ)百歩と読みます。

くれぐれも、読み方には気を付けてください。





足が速い人と足が遅い人が、ハンデを付けて50mリレーをしていた。

結果は、どっちもどっちの五十歩百歩と言える差だった。


足の遅い人は自慢していた。


ハンデが五十歩百歩と言えないほど大きかったことは、目をつぶろう・・・。





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「上司は、いたけだかなもの言いをするから嫌いだ。」


このような上司には、巡り合いたくないものである。


このいたけだかとはどういう意味なのでしょうか?


実は、威圧的な態度のことを意味します。


どうして、このような意味になるのでしょうか?


これも漢字で表すことから考えましょう。



漢字で表すと、居丈高や威丈高があるが、正式には居丈高である。

居丈高という漢字で表しても、まだ意味がわからないと思います。



次に、この情景を想像してみてください。



まず、居丈とは、座高のことで椅子に座っている状態を示しています。

この居丈は、どんな時に高くなりますか?

おそらく、相手をしかりつけたりなどの高圧的な態度をとる時、ぱっと椅子から立ち上がって言いませんか?

このことから、居丈高という言葉が今の意味をもつようになりました。


このように語源を知っておくと、

○居丈高×威丈高
というふうに、字の間違いは少なくなると思います。



「ビールがまだ来ないぞ。」と店主に居丈高なもの言いで怒っている男性がいました。

そんな時、「ほかの客に迷惑だろ。」とその人に居丈高なもの言いで注意した人が出てきました。

しかし、それで収まらず、お互い居丈高な言い争いが起こりました。

お互い立ち上がって怒っていても、お座敷に座っていた私の座高より低かったのですが・・・













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ちょっと前に買った宝くじが大当たりした。まさに濡れ手で粟(あわ)だ。

本当にうらやましい話です。

さて、この濡れ手で粟(あわ)とはどういう意味なのでしょう?


これも情景を思い浮かべれば、自然と意味がわかってきます。



粟(あわ)とは、五穀米のうちの一つで米の仲間である。

みなさんも、ご飯を炊いた方ならわかると思います。

濡れた手で米を触ると、何もしていないのに手にいっぱい米粒がついてきます。

粟(あわ)もこれと同じようなことが起こります。


このことから、濡れ手で粟(あわ)とは、何の苦労もせずに大きな利益を得ることを表すようになりました。




昔、餅投げに行って、餅をいっぱい拾おうとしたことがあるのですが、なかなか拾えませんでした。

濡れ手で餅とは、いかないものですね・・・(笑)


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あの人は37歳だった。6歳もさばをよむなんて!!


よく芸能ニュースで耳にするこの「さばをよむ」という言葉は、いったいどういう意味なのでしょう?



これも漢字に当てはめると、少しばかり意味が見えてきます。



さばをよむという漢字は、鯖を読むと書きます。

鯖ってあの魚の?

そうです。魚の鯖のことです。

まだ、意味が分かりませんよね。

もうワンステップいります。


実は、魚市場での出来事から意味がわかってくるものなのです。



は、青魚の中でも非常に腐りやすい魚です。

だから、魚市場でを売る人は、急いで売らなければすぐ腐ってしまい、利益がとれません。

そのため、を買う人が出たら、急いで次から次へと箱に投げ入れていくので、正確な数が違うことも多いのです。

逆に言えば、少々数を少なくして(ごまかして)売っても分からないということです。

このことから、鯖を読むという言葉は、自分の都合のいいように数をごまかすことを表すようになりました。



当時、高校生の頃、世界史のテストが苦手で20から30点台を行き来していました。

「俺世界史50点だったよ。」と言ったところ、

そんなにすごくないじゃん。の一言、

これでもかなりさばを読んでいるのに・・・。(泣)







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8月9日に初めて訪問者が10人を超えました。(よっしゃー!

訪問された方、見てくださった方、ありがとうございます!!

これからも、ことわざと慣用句のページ、語源のページを主体に、他のページも少しずつ更新していきたいと思いますので、末永くよろしくお願いします

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またミスしやがって、このぼんくらが!


上司が部下に対して、きつい言葉でしかりつけている様子が目に浮かびます。

このぼんくらは、頭の回転が鈍く、動きが遅い人のことを言います。

このぼんくらの語源はどこから来ているのでしょうか?

これも漢字を当てはめるとよくわかります。


実は、ぼんくらは、「盆暗」と書きます。

え、お盆に暗い人?いえいえ違います。

実はこの盆暗は、賭博用語から来ているのです。

昔、サイコロを2つ振って、出た目の和が偶数であれば丁、奇数であれば半という丁半博打が行われていました。

この丁半博打のことを盆と言います。


つまり、盆暗とは、

丁半博打に暗い ⇒ 博打に勝てない ⇒ 推測力が弱い ⇒ 頭の回転が鈍い
ということから、現在使われている意味を示すようになりました。



いつも、ぼんくら呼ばわりしている人も、このという遊びを試してみてください。

ぼんくらとは言えないほど強いかもしれませんよ!!







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